2009年03月12日(木)

「なぜ、その技術を習得しなければならないのか」~柏市立第二中学校 サッカー部の記事から

――アニキです



サッカー、アジア・チャンピオンズリーグ、川崎、名古屋、大阪といったJリーグ勢がいずれもアウェーで勝利してくれてちょいと機嫌のいいアニキ様だぜ。ただ一つの例外を除いては――
そう水原に敗れた鹿島アントラーズである。今シーズンも絶好調でアジアに敵なしと思っていた鹿島がまさかあんな負け方をするとは……。必ずしもJの王者がアジアでも同じ力・存在感を発揮できるとは限らないという好例だとも言える。恐ろしやACL、である。



さて、話は変わり――
ブカツブログをお読みの諸君たちは、「何故、学ぶ必要があるのか」ということについて考えてみたことがあるだろうか。



「ブカツゆえ、練習し習得するのが当たり前だから」
「レベルアップしたいから」
「指導者が“学べ”と言うから」



その答えも様々だろう。特に学校系ブカツの場合は、教えられることが身体に刷り込まれてしまっているだけに、“教えられること”が慣例化してしまっており、その根底にある「必要性」について意識の及ばない人間も決してすくなくはないだろう。
――「何故、学ぶか」。これを意識するのとそうではないのとでは、得られるものの大きさが大きく違ってくる。



そんな“学ぶこと”に対する一つの答えが柏市立第二中学校 サッカー部のつかコーチの3月9日のブログ『ドリブル練習の必要性』に示されている。



一通り読んでもらった上で、もう一度以下の引用に注目してもらいたい。



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パスサッカーをするためになぜ、ドルブルが必要か、わたしなりの考えは。

わたしは、コンパクトで連動性のある守備からボールをうばうサッカーをしている。しかし、この状態は、攻撃をするには、スペースがなく、パスをするには、非常に困難である。スペースを作るだけの時間と見方がサポートにはいるための時間(ため)を作る必要がある。
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ここで重要なのは、「なぜ、ドルブルが必要か、わたしなりの考えは」という、教えるにあたっての“根拠”がハッキリと示されていることだ。
ただ「やれ」ではなく、チームをコントロールする指導者自身が自分の目指すスタイルをハッキリと頭に思い描き、その実現のために必要なことを部員たちに指導してゆく、という図式。これはつかコーチに限ったことではなく、指導を生業とする方なら誰もが意識することではある。しかしそのポリシーが確固たるものなのか、揺らぐものなのかでは教え子たちへの伝わり方も大きく変わってくるだろう。
この点で、つかコーチの場合は、豊富な現場経験と飽くなき向学心に基づく知識をベースに独自の指導哲学を展開するだけあり、ポリシーが非常に明確。そして何よりも強い愛情を持って子供たちと接しており、「その先の成長」まで見据えた指導を実践しているんだなぁ、そのブログを読むたびに感じさせられる。



もちろんアニキには指導のスキルや経験はないが、客観的に見て、こうしたポリシーを持つ人物から受ける指導というのは非常に大きく意義あるものだと思う。ドリブルは確かに華麗なテクニックで観る者を魅了させるけれど、それはあくまでもドリブルの必要性があった上でのこと。そんな“技術習得の必要性”がつかコーチにブログではしっかり語られている。サッカーに関わる人間はもちろん、その他のスポーツやビジネスというフィールドで戦い続けるサラリーマン諸氏にもぜひとも読んでもらいたいエントリだ。



ということで今晩は長谷川穂積の防衛戦。ここに綴った観点で長谷川選手の高度な技術を観てみたいと思う。

Ph

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